日本中の子供達の憧れ!ヒカキンが活動開始!


2006年12月30日、日本のトップyoutuber、ヒカキン(HIKAKIN)がyoutubeアカウントを作成しました。
気がつけば、今日でYouTube始めて12年でした。小中高と同じ長さ!当時見てくれてた小学生ももう社会人。そう思うと、長い。これだけ続けられて僕は幸せ者です。あらためていつも見てくれている視聴者の皆さんや、YouTuber仲間、UUUMのみんなに感謝です。 pic.twitter.com/dpHVHnv12Z
— HIKAKIN😎ヒカキン 【YouTuber】 (@hikakin) December 30, 2018
2006年当時、youtuberどころか、youtubeを知っている人すら日本では多くありませんでした。そんな中でヒカキンは既にアカウント登録をしていたのです。
開設してすぐに動画投稿をしたそうですが、どうやらすぐに消してしまったのだとか。
ちなみに、ヒカキンの最古の動画投稿は2007年9月24日からです。
本日はYouTubeの1番古い動画の投稿から12周年でした。アッパレ。まだまだ頑張りまっす😎👊 pic.twitter.com/Ymeds9wiZo
— HIKAKIN😎ヒカキン 【YouTuber】 (@hikakin) September 24, 2019
いずれにしても、かなり早いタイミングでyoutubeを開始していた事がわかります。
最初は鳴かず飛ばずだった

今でこそ、動画を出せば数十万再生、百万再生も当たり前のヒカキンですが、動画投稿を開始した初期は非常に再生数は少なかったようです。
日本ではそもそもyoutubeに動画投稿をしている人で有名人がいなかったし、そういう文化もほとんどありませんでした。
youtubeは、2007年5月頃に閲覧数の多いユーザーを対象に「YouTubeパートナープログラム」への勧誘を開始します。これがyoutuberの始まりですね。
ただ、当時は商業コンテンツを投稿する一部の企業アカウントが多くを占め、一般の動画投稿ユーザーはほとんど参加出来ませんでした。
ヒカキンもこのプログラムを申請したそうですが、却下されたそうです。
ちなみに当時のヒカキンの動画投稿頻度は月に1〜2本、再生数は多くても20万再生程だったと言います。
観覧者も日本人は少なく、海外のユーザーが多く占めていたそうです。
転機は一本の動画から
動画を投稿していくうちに、少しずつ再生数は伸びていきましたが、まだまだ有名youtuberには程遠い日々が何年か続きました。
しかし、2010年にアップロードした動画「Super Mario Beatbox」がYouTubeにおける日本国内月間アクセス一位を記録し 、海外などでもこの動画が取り上げられ、一躍時の人に。
この動画をきっかけに、念願の「YouTubeパートナープログラム」の招待がきた他、得意のヒューマンビートボックスを武器にライブやイベントなどにも呼ばれるようになりました。
当初は、youtuberではなく、youtubeを通して自身のヒューマンビートボックスの腕で食べて行こうと考えていたヒカキンですが、youtubeの広告収益だけでも食べていける事に気付き、会社を退職。
以来、youtubeでの動画投稿を本業として本格的にyoutuberとしての道を歩み始めたのです。
そして現在


今ではヒューマンビートボックスを動画でメインにして取り上げることは少なく、商品レビューや実験、ゲーム実況、ペットの紹介動画など幅広い動画投稿をしているヒカキン。
他にもYouTuberの事務所「UUUM」の設立と最高顧問を務め、 テレビなどのメディアへの露出も多いです。
動画投稿開始当初は、会社の社宅のお風呂場で動画撮影しておりましたが、現在では都内の月100万以上もする高級マンションをふた部屋も借りて専用のスタジオで撮影するなど、まさにyoutuberの成功者に相応しい夢のある生活をしています。
彼の活躍もあって、小学生の将来なりたい職業では2018年には3位になるなど、youtuberという存在を広めた功労者であるとも言えます。
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